唱歌「ふるさと」を共有できる二世 10/09/01 (14:32)

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 日系コロニアの一世の集まりでは催し物の最後に唱歌「ふるさと」を必ずと言っていいほど合唱する。異郷の地に移住した一世が遠くはなれた祖国日本の故郷を想い涙する。この時、一種独特な連帯感に包まれる。一世は、「一世にしか理解できない心情」と誰もが信じて疑わない。ところが、二世の中に一世と同じ感情を共有できる人がいる。先日このことを知り、驚いた▼戦前移住者の子弟で60代の二世夫婦と話をしたときのことだ。日本語が堪能で、日本の歴史をはじめ知識が豊富なご夫婦だ。「一世の人たちは『ふるさと』を歌うときの感傷を自分たちだけしか理解できないと決め付けるけど、それは間違っている」と言い切った。ご両人は、幼いときからそれぞれ両親が生まれ育った故郷の良さを聞かされ続けてきた。その過程で両親の故郷をいつの間にか共有できるようになったのだ。ご主人は「両親を尊敬していたから」と言った。ご主人が留学生として訪日し、列車で広島あたりを通過したとき、夕焼けにお寺のシルエットが目に飛び込んできた。この時、彼の頭に童謡「夕焼け小焼け」の歌詞が思い浮かんだという▼二人と別れてこの言葉を何度も反復しながら考えた。戦前の日本移民と戦後の移住者の日本や故郷に対する想いが違うのではないか。戦前の人たちは、祖国日本が心の中から消えることはなかったのか。子どもたちに日本人であってほしいと願い、日本人としての感情をすべてぶつけたのだろう。両親の感情や思考をそのまま移入できた子どもたちは、心の底から両親を尊敬していたに違いない▼戦前戦後を問わず、一世は「二世なんて」と十羽ひとからげにしてきた。特に戦後移住者は、二世との軋轢が大きい。今、戦後移住者が日系人に対して日本文化継承だの日本語教育の重要性を声高に訴えるが、自らの子どもたちとどのように向き合ってきたのか。戦後移住者の多くは日本や故郷を子どもたちに教えてきたのか。そして、子どもから尊敬される親だったのか。胸に手を当てて顧みるべきではないのか▼以前から二世という言葉で彼らを人括りにすることは間違っていると感じていただけにいい勉強をさせていただいた。これからの日系コロニアを考えるとき、戦後移住者は唱歌「ふるさと」を共有できる二世の人たちと胸襟(きょうきん)を開いて話をするべきだ。(鈴)

2010年9月1日付


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