VARIGが一足早く直行便を就航
日伯航空協定を調印したのは1966年だが、両国を結ぶ直行便はすぐには出現しなかった。日本からブラジルへの移住者は時代とともに激減していたが、それでも移住船が航行しており、船便が一般的な時代で、航空便は庶民にとって高嶺の花だった。
こうした中で68年、VARIGがリオ―サンパウロ―リマ―メキシコ―ロス―ホノルル―羽田の直行便(B707型機)を開設、日本への直行便の先鞭をつけた。当時、テレビのコマーシャルでVARIGはCMソングを流した。人気司会者だったローザ三宅を起用し、浦島太郎のイメージで、お里帰りの日本人移民を対象としたお里帰りをあおった。
昔昔浦島は
助けた亀につれられ
ブラジルにやって来て
住み心地の良さに国を忘れ
住みついた
ふと国が恋しく
いとまごいお別れにと
プレゼントしてくれたのは玉手箱
開ければびつくりその中には
日本まで往複切符
さっそく飛んでった
この歌のタイトルは「浦島太郎」(作詞=坂尾英矩、作曲=アルキメデス・メシーナ)
この歌は、ブラジル移民100周年の記念事業として作家の醍醐麻沙夫氏が結成した「ブラジル移民文庫の会」が制作した「ブラジル移民文庫―100年の歴史の集大成―(改定増強版)」に収録されている。
その中で、作詞した坂尾氏は経緯を次のように回述している。
――1968年にVARIGブラジル航空が日伯間直行便を開始した際、CMソング制作を依頼された私は当地の新聞広告で見た「近くなった日本」という キャッチ・フレーズにヒントを得て、昔話「浦島太郎」をテーマに取り上げました。日本へ帰る浦島が竜宮の乙姫からもらった玉手箱を開けたら白い煙の代わり に日伯間の往復切符が出てきた、という筋書きです。
作曲はカーニバル・ソングのヒット・メーカーとして有名なアルキメデス・メシーナ、歌は当時日系社会のトップ・シンガーだったローザ三宅、そして私が作詞と編曲を担当してテレビ映像はアニメに決まりました。
コミック・ソング風なのに移民の哀愁あふれたメシーナのメロディーは非常に印象的で人々が口ずさむようになり、翌年のカーニバルには全国のダンスパーティーで大ヒットとなりました――
一方、JALは2代目支店長森谷輝司氏の時代になり、ウニベルツール旅行社に間借りしていた事務所から聖市バロン・デ・イタペチニンガ街に小さな事務所を借りていた。だが、カウンターがあるわけではなく、営業所と言うには程遠い規模だった。
VARIGが直行便を開始した同じ年、JALは世界の航空会社が軒を並べていた聖市サンルイス大通りに支店を構えた。店内には初めてカウンター を設置、女性社員を雇って、顧客への対応を開始した。とは言っても、ブラジルまでJALが飛来していなかったため、サンパウロから米国まではパンアメリカ ン、ブラニフ、VARIG、アエロ・リーニャ・アルゼンチンなどの航空会社を利用し、米国内から日本までJALを利用する形で発券していた。
当時の日系コロニアは戦前移住者が安定して経済力をつけており、戦後移住者の一部も農業で儲けるなど一時帰国ができる時期に到達していた。しかし、当時の航空運賃はフォルクスワーゲンの大衆車フスカの新車1台分の購入価格に相当するほど高かった。(つづく、鈴木雅夫)
2011年9月29日付