1969年に創業し、漬物をはじめ、かまぼこや豆腐などの日本食品を製造販売しているブラジル地場企業の高木醸造食品有限会社。取締役社長の高木政親(たかき・まさちか)さん(61、長崎)は、10年ほど前に息子のヒロシさん(41、2世)に経営権を譲り、現在は悠々自適な生活を送っている。同社の歩みや今後の経営方針などについて話を聞いた。
同社は、聖市近郊のスザノ福博村にほど近い幹線道路沿いに立地している。工場には約40人の従業員が勤務。たくあん、福神漬などの漬物類を中心に、ちくわ、かまぼこ、豆腐など「高木」ブランドの商品は40種類にも及ぶ。
現在、生産品の5割はCEAGESP(聖州食糧配給センター)内の自社販売店を通じて、北はパラー州ベレンから南は南大河州のポルト・アレグレまで全伯に発送している。
取材のため同社の工場を見学させてもらったのは、11月26日の午前10時頃。土曜日だったため、すでに従業員たちは仕事のほとんどを終了していたが、政親さんの案内で快く工場内を見せてもらった。
最初に目が留まったのは、黄色いたくあんを袋詰めしていた女子従業員たち。適量を電子計量器で量り、でき上がったたくあんを袋に入れていた。
次に、ショウガ(ガリ)を瓶詰めしている作業を見せてもらう。機械ではなく、従業員が手作業で行い、商標ラベルも1枚1枚自分たちで貼っていたのが印象的だった。
その中でも圧巻だったのは、たくあん作りだ。1個が10~12キロもある「漬物石」を100個以上使用し、今でも昔ながらの製法で漬けている。
政親さんの話によると、この「漬物石」はリベイロン・ピーレス市の道路に敷くための「石畳」用の石を購入したものだという。大根100キロに対して石100キロと、同じ量の石を乗せるのが「おいしい漬物を作る」コツだそうだ。
「ほかの会社では機械で圧力をかけてやっているところもあるけれど、うちはあくまで石にこだわりたい。このほうが、停電しても作ることができるしね」と政親さんは笑顔を見せる。
また、たくあん作りの原料となる大根は、同社で大根の種を購入し、スザノ福博村に在住する日系農家に20年以上にわたって専属で作ってもらっているという。
「ち くわ」「かまぼこ」作りの部屋では、すでにこの日の作業は終了していた。作業工程は、仕入れた魚を水洗いして不必要な部分を取り除いた後、機械で練りつぶ し、焼き上げて常温にさせた品物をパッキングしていくのだと、政親さんがすでに清掃が終わった機械類と設備を見せながら説明してくれた。
別の部屋では、でき上がった豆腐が冷却用の水槽に入れられ、長く連なったプラスチック製のラベルを1枚ずつ切っている従業員の姿があった。さらに、豆腐の水切り作業として前述の「漬物石」がここでも重宝な道具として使用されていた。
各種加工品作りで出た汚水は、工場内にある独自の浄化装置である程度浄水した後、大型トラックで公共機関の浄水場に運ばれ処理されるという。
また、以前は付近の農家などに肥料として無料で配布していた「おから」や魚類などのゴミを混ぜた有機肥料も、ヒロシさんの世代になってからは「おがくず」などを混ぜてさらに品質を高め、商品として販売する計画も進められている。
造り酒屋から日本食材製造へ
高木家は先祖代々、長崎県で造り酒屋として発展。父親の政明さん(1964年に75歳で死去)は、10代目杜氏(とうじ)として戦前に満州に渡り、同地で日本酒、酢、みそなどを製造販売し、「ゼロ戦1機分の金を貸すことができるほど儲けた」(政親さん)という。
戦後、日本に引き揚げ、闇で酒類などを販売していたが、日本の生活に合わなかったためか、ブラジルに移住することを決意。57年9月、オランダ船の「ルイス号」で当時7歳だった長男の政親さんたち家族とともに渡伯した。
聖 州プロミッソンの前田農場でのコーヒー生産のコロノ(契約農)生活、イタケーラでの農業生活を経て、渡伯3年後にはリベイロン・ピーレスに転住。当時、同 地で「ツヤマ」と名乗る日本人が「さくら」という銘柄の日本酒を製造販売していた。友人の勧めで酒造りを行うことになり、61年から引き継いだ。その際、 父親の政明さんは「ふじさくら」というオリジナルの銘柄に変更。「辛口」の日本酒をブラジルで造り始めた。
「ふじさくら」は現在のビール瓶(大瓶)の大きさで市販され、聖市ジャバクアラ区にあった料亭「青柳」にも卸されていたという。
政親さんは当時11歳だったが、「麹(こうじ)を作るために、夜中によく父親から起こされて手伝った」ことを今でも覚えている。
そうした中、祖母のハツメさんが自宅で作っていた「たくあん」が「おいしい」と評判となり、聖市カンタレーラにあった中央市場で働く「池尻(いけじり)」という日本人から頼まれてCEAGESPで漬物を販売するようになった。
この漬物が当たり、68年には政親さんと父親がスザノに漬物製造会社を立ち上げ、翌69年に現在の高木醸造食品を設立した。
漬物の種類もたくあんを中心に、「福神漬」「しょうが漬」「朝鮮漬」などと増やし、「2~3年で新しい車が買えるほど」儲けたという。
82 年には、CEAGESPで委託販売していた「ちくわ」や「かまぼこ」を聖市カーザ・ベルデで製造していた日本人から「自分たちは辞めるから引き継いでほし い」と言われた。父親や家族は反対したが、政親さんは「新しいことに挑戦したい」と受け入れた。しかし、当初は魚のすり身と塩の割合が分からず、商品とし て完成させるまで試行錯誤を繰り返した。
さらに、90年には豆腐も導入した。
現在は、「ちくわ」「かまぼこ」用として月に50トンの魚をサントス港やCEAGESPなどから仕入れ、月産約5万箱の生産量を誇る。しかし、それでも生産量の5割は漬物が占め、「ちくわ」と「豆腐」の生産がその半分ずつとなっている。
政 親さんは、早い時期に息子の代に継承したことについて、「私も父親から18歳の時に会社を任されたから」と言い、「息子に対してはあまり口うるさく言わな いようにしているが、1年ごとに新商品を作ることだけは提案している」と述べ、今後一般ブラジル人の口に合うような商品の開発も見込んでいる。