東京便り 拡大版 低温やけどで老いを感じた 12/01/16 (10:35)

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 ブラジル在住の方にはあまり関係がないかもしれないが、湯たんぽ、アンカ、使い切りカイロなどによる低温やけどというけががある。体温よりも高い湯たんぽなどに皮膚の同じ場所を長時間押しつけていると起きるやけどだ。この数日間、日本列島は冬将軍の襲来に震え上がっている。日中でも気温が6度ぐらいまでしか上昇せず、使い切りカイロを持ち歩く人が増え、就寝前には湯たんぽが欲しくなるなど、低温やけどにかかる人が多くなった▼実を言うと、私もこの低温やけどにかかった一人である。朝起きたとき、足の踵(かかと)に違和感を覚えた。しばらくしてそこが水ぶくれになり、低温やけどをしたことに気付いた。就寝中、知らず知らずに湯たんぽに踵を押しつけていたらしい。就寝する時に湯たんぽを欲しくなるなど、若い頃にはなかったな、と改めて齢(よわい)を重ねたことに気付かされた。おかしなことだが、ブラジル在住の人たちは、低温やけどで年を感じるということはないだろうな、と妙な感慨を覚えたものだ▼で、ハタと考えたのだが、どんな時に人は自分の年齢を感じるのだろうか、ということである。最も多いのは、物忘れがひどくなった時ではないだろうか。訪問先に何かを忘れてくる、などはよくあることで、外出の時に必ず何かを忘れ慌てて取りに戻る、ひどい時は捜し物をしていて、何を探しているのかふと忘れてしまうことだってある▼私が「老いたな」と感じ始めたのは、低温やけどをした時よりも、ワイシャツを着る時にボタンをはめるのが以前ほどスムースにいかなくなった時だった。運動能力が衰え、細かな作業がしづらくなってきたのである。昔は麻雀などを楽しんでいたので、指先の動きには自信があった。このためボタンをはめるのが若干遅くなった時はショックだった。何かの本で、老い始めるとボタンをはめるのに手間取るようになる、と書いてあったからだ。いよいよそういう年齢になったかと、改めて自分の年齢を噛みしめることになった▼私の中学校の卒業式の時、校長先生が送辞の中で「物事は必ず始めがあり、そして終わりがある」と述べたのを思い出した。その時は当たり前じゃないか、といった感想しか持たなかった。その時校長先生は「この言葉の持つ意味が分かる時が来ます」とも話していたが、今になってこの言葉の意味が分かったような気がする。ただ単に人間が誕生して死んでいく、といったことだけでなく、悩みも時間がたつにつれて消えていくし、時の流れはすべてのものを押し包み、形を変えていく、ということであろう。▼鎌倉時代(1100年頃から1300年代)の歌人、鴨長明(かものちょうめい)が著作の「方丈記」(ほうじょうき)に「行く川のながれは絶えずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし」と書いている。800年も前の歌人がこう書いているところを見ると、いつの時代になっても世の真理は変わらないということであろう。齢を重ねると、こうした無常観とも言えるものに、妙に共鳴したくなる。こんなことを考えながら、正月を過ごした。(東京支社=瀬頭明男)


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