海外はの沖縄空手十段誕生 同時に聖市名誉市民表彰も受章
12/01/31 (9:04)
授与式に満面の笑み与那嶺育孝さん
「私は空手バカ。空手と出会わなければ、まっとうな人間になっていなかった」―。そう話すのは聖市で長年、沖縄空手を指導してきた「カラテ・マスター」こと与那嶺育孝さん(71、沖縄県)だ。与那嶺さんは1961年、20歳の時に家族とともに渡伯。以来、空手の修行に励んできた。その功績が認められ、2年前に日本国外で初となる最高段位の空手範士十段を取得。25日に沖縄県人会ビラ・カロン支部で同段認定証授与式が行われた。この日は、同時に聖市名誉市民章も手渡され、教え子や沖縄県人会関係者など270人が集い、ともに喜びを分かち合った。与那嶺さんは「私が知らないうちに、こんな式典を家族が準備してくれた。私が受章したのは皆さんのおかげ。子弟に恵まれただけ」と感謝しながらも「十段取得は責任重大だと感じている。今後も後進の指導に努力していく」と今後の目標を掲げた。
日本国外では初の快挙となる与那嶺さんの段位授与式には数多くの関係者が集い、チリや米国など海外からも子弟が駆けつけた。また、与那嶺さんの高校時代からの親友で、沖縄空手道剛柔流琉翔会(ごうじゅうりゅうしょうかい)総本部会長の瀬名波重敏さん(71)も訪伯し、与那嶺さんに認定証を手渡した。
範士十段の取得者は日本国内でも約20人。取得できるのは70歳以上で、長年空手の普及や多大な功績を残した人に限られ、人格も重要視される。与那嶺さんが最高段位を授与されたのは、空手の指導者としてブラジルで1千人以上の子弟を指導し、全伯大会はおろか、汎米、世界大会に出場する選手を育て上げたことや、自らも1級審判員として世界大会で試合を裁いていることなどが評価された。
与那嶺氏は13歳で空手を始め、渡伯後はすぐに空手道場を開き、わらを板に巻つけた巻藁(まきわら)に拳を打ち込む伝統的な空手の稽古方法を行ってきた。「あの頃は、みんな生きて行くのが精一杯で、仕事の終わった午前0時から練習した」と当時を振り返る。
また、「基本を大事にしようと思っていたので、チャンピオンなんて育てる気はなかったが、教え子が優秀な成績を収めていった」と笑う。5人の子どもも全員黒帯で、父の背中を見て育った次女のユミさんは「父は家庭でも怖いが、尊敬しています」と話す。
与那嶺さんは空手の魅力について「人の痛みが分かる人間になれる。空手がなければまっとうな人間になっていなかった。高校生の頃は米軍相手によく喧嘩していたが全く怖くなかった。自分の弱さを知ることができる空手が大好きだ」と目を輝かせる。子弟の親からの信頼も厚く「息子は空手を学んだことで精神的に成長したと思う。今は医者になった。これも与那嶺先生と空手のおかげ」と感謝していた。
今では道場に通う子弟の8割は非日系で女性も多い。しかし、ブラジル流の指導方法は行わず昔からの指導を行っており、自らも毎日600回巻藁を突く。
与那嶺さんは沖縄に帰った時には、故・八木明徳氏の教えをともに請うた親友の瀬名波さんと酒を酌み交わし、沖縄空手について語る。瀬名波さんは「義理堅くて、悪いことは悪いとはっきり言う。空手について妥協がなく、研究熱心でびっくりさせられることが多い」と話す。
授与式の後に行われたパーティーでは空手の型のデモンストレーションも行われ、最後まで盛り上がりを見せた。
2012年1月31日付









