新来記者日記(修) 12/03/15 (9:02)
渡伯当初、日本との違いを感じたのがブラジル人の持つペルソナ(仮面)の少なさだ。日本人は家庭の顔や職場の顔など様々な場面でペルソナを使い分ける。自分を偽るわけではないが、その場面に適した仮面を使い物事がスムーズに進むようにする。
ところがブラジルでは違う。警察も小売店主も仮面をかぶらない。彼がロドリゴならロドリゴのままだ。良いほうに解釈すると、物事をスムーズに運ぶために他者と芯からかかわりを持つ。
さて、東日本大震災発生から1年がたったが、被災地でボランティアを行う日系ブラジル人に対して勤務中の警官が手を振ったということを知り、復興のキーワードとなっている「絆」という言葉について考えさせられた。
平時、日本の警官が市民に手を振ることはまずない。特に被災地にいる在日ブラジル人ならば職務質問の対象として見られ、警官が制服を着たまま警官のペルソナをはぎ取り、外国人に手を振ったというのには驚いた。
震災というあらゆる人に対して襲いかかった悲劇は、復興という共通の目標を与え、全員が全員を助けなければいけないという原始共産制にも似た状況ができたために、一時的とはいえ社会においてペルソナの必要性が低下したとも言える。それは日本人にとっては奇妙で新鮮な共通体験となり、やがてその状況をメディアは「絆」と名付けることになったのだろう。
日本人の持つ仮面の数の多さは、かつて大陸から渡ってきた儒教がもたらしてくれた文化の一つ。決して悪い物ではない。ただ、全員でありのままの自分をさらけ出せた喜びは今後、何かにつながる気がする。(修)
2012年3月15日付
« 戻る









