リレーエッセイ 3月 鈴木 典子 12/04/04 (9:06)

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兵舎とオルガン

 懐かしい、忘れ難い情 景がある。
戦前、戦中、戦後と生き抜いてきた83歳の私には様々な思い出がある。近年のように孤独をかこつようになるとなおさらに思いは深くなるのだ。

その情景は古い写真に見るセピア色ではない。パステルカラーに淡く輝いて、兵舎に据えられた1台のオルガンである。
いつ頃のことになるだろうか。私の小学校就学以前のことであるから、七十数年前のこととなる。昭和の始め、父母、兄弟共に平和な時代であった。

職業軍人であった父の関係で、軍都といわれた北海道A市の陸軍官舎に住んでいた。考えてみても、どうしてあの恐ろしいとも思っていた兵舎の中に入り込んだのか分からない。

公園で遊んでいた6歳の私と3歳年下の弟と4歳くらいの近所の女の子と3人で兵器部の兵舎に。師団司令部、部隊兵舎、練兵場などに入ってはいけないことは百も承知していたのだ。まして門衛には左右に軍装し、あご紐を下した番兵が待機しているのだ。そこをチョコチョコと父の仕事場の兵器部にもぐり込んだのだ。

玄関の右側にある部屋に3、4人の人が斜面台で製図をして、私の父もそこにいた。叱責を受けた覚えは全くない。
裏口に出たら草むらがあり、作業服を着て手ぬぐいを姉さん被りにしたパートのおば様たち4、5人が談笑中だった。休み時間だったろう。

1人のおば様が「今取ったシメジ(茸)だから、お母さんにお上げなさい」と新聞紙の包みを下さった。
しかし廊下での行き止まりにあったオルガンがいつしか私の頭の中に焼きついてしまった。

それからの日本は、8年にわたる日支事変、それに続く第2次世界大戦に突入して行った。
私たちは小国民、軍国少女、成人しては大和撫子と呼ばれ、ついに敗戦となる。

A師団はガダルカナル、 南大西洋、北はアッツ島などで戦い、尊い命を多数失った。私の父も満州事変、第2次世界大戦と出兵したが、戦後は故郷の福島で一生を終えた。

兵舎にオルガンは何としても似つかないのだ。
何度も訪日したのに、父に尋ねておかなかったのが悔まれるのだ。知っていただろう。無口な父で戦争のことは話さない人だったが、覚えていたかも知れない。悔しい。

長い苛酷な戦争を潜り抜け、故郷で生命をまっとうされたろうか。それとも。
でも私にはあのオルガンから…。
あやうきときも 君とあらば
おそれは失せて いと安けし
このような美しい音律が聞こえて来るのだ。


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